第30話

 これが銃弾を体に被弾した痛みか……。苦痛に悶えるスミスだったが頭の中は妙に冷静だった。だが急いでここから退避しなければジョセフの次の攻撃で確実に命を奪われる。だが今のスミスの状態では立って走ったり跳んだりするのは不可能だ。不可能であって死ぬわけにはいかない! 彼は被弾しない廊下側の方に向かってカーペットが敷かれている床の上を転がり始めた。その後を追うかのように床に銃弾が被弾していく。火花を散らし、カーペットの繊維が宙を舞っていく。不気味な音をたてながら……、先ほどスミスの右の太腿に被弾した時のような音をたてながら……。
 廊下に難を逃れたスミスは自分の腕の部分の衣服の一部を引き裂いて被弾した位置にあててからキツく縛った。銃弾は貫通してはいないが、人間の体には動脈や静脈の他にも毛細血管という非常に細い血管が体全体に張り巡らされている。動脈などが傷ついていなかったとしても、今のスミスの足からは大量の血が流れて出ていっているのだ。
 痛みが少しずつ和らいできた。スミスは愛銃のM24SWSに手を伸ばす。左手で銃身を持って、右手ボルトを操作し薬莢を排出する。廊下の床にはカーペットが敷かれていないので小さい金属音をたてながら転がっていく。その音に合わせていくかのように、スミスの足に巻かれている破った衣服に血がにじんでいく。だがいつまでもここに留まっているわけにはいかない。その少しでも力を入れる度に痛みが走る足で、スミスは廊下を移動していく。当然、走る事などできはしない。壁に手を添えて、右足を引きずりながら必死に進んでいく。
 スミスが次に辿り着いたのは、二〇階と一九階を繋いでいる階段の踊り場である。
 連邦ビルという名称通り、なかなか豪華なものだった。階段と外とを隔てている物が、壁ではなくガラスなのだ。普段なら感心するのだが、今の状況においては迷惑極まりなかった。いつ見つかってもおかしくない、というよりは見つからないほうが不思議な状況だ。ここで狙撃をするわけにはいかない。かといってずっと二〇階に留まっていることも危険に思える。
 スミスの頭の中で様々な考えが現れては消え、また現れては消えていく。そんな状況下の中、証券会社のビルの屋上にいるジョセフはスミスがいる階段の方に銃を向けている。スミスが階を変えるためにはこの階段を使うしかないという事がジョセフにはわかっていたのだ。エレベーターの数こそ多いが、階段は今スミスがいる通常の階段と非常階段しかない。だが非常階段も予めジョセフが用意していた仕掛けによって動かなくなっていた。連邦ビルの非常階段は普段はロックされていて、災害などの緊急事態によって開かれる仕掛けなのだが、ジョセフはこのシステムを改ざんし、何があっても非常階段の扉が開かなくなるようにしていた。おまけにエレベーターも今は動かない。
 SVDを握るジョセフの手にどんどん力が込められていく。スミスが頭からまるで蛇口を捻りすぎた水道から勢いよく噴出す水のごとく赤い血が噴出すのを妄想し、彼の興奮はピークに達していた。
 だがその時だった。
「ジョセフ?」
 屋上の出入り口のほうから声が聞こえてきた。
「おや、アルバートじゃないか。何故こんな所にいるんだ?」
「それはこっちのセリフだ! お前は死んだはずなのに……、仮に生きていたとしても何故スミス少尉を殺そうとしているんだ!」
 アルバートは怒りと悲しみに満ちた表情でジョセフに訴える。ジョセフは無線機のスイッチを入れた。

 スミスは肩で息をするようになっていた。右の太腿からはもう血は止まっているが、その前に流しすぎたのか、若干ではあるが目眩を覚えていた。大きく息を切らしている中でインカムが無線を受信した。
「今度はなんだ、ジョセフ!?」
「どうしてスミス少尉を殺そうとしているかだって? 奴が俺にとって邪魔な存在だからだよ、アルバート」
 一瞬我が耳を疑った。今アルバートと言ったのか? 自分を応援にかけつけようとしている部隊は足止めを喰らっているのに何故彼が? だが次の事を考える暇もなく、インカムからは声が聞こえてくる。
「邪魔な存在? どうしてだ……。どういう事なのか教えてくれジョセフ!」
「アルバート! そこにいるのか!? 今すぐそこから逃げるんだ! お前の知っているジョセフじゃないんだ! 完全な別人だ!!」
 そうは叫ぶがその声はアルバートには全く届いていなかった。おまけに叫べば足が痛む。スミスは苦痛と悔しさに顔を歪めながら、壁に阻まれてはいるが、二人がいる証券会社のビルに顔を向けた。今あそこで一体何が起きているのか……?