第5話

 午後一〇時三〇分、ロウス出版社の屋上へ続く階段を一人の人間が上っていく。その足音はまるでカウントダウンに聞こえてくる。任務開始へのカウントダウン、そして勿論ターゲットの死へのカウントダウン。電灯などがついていないため、その男、スミス=アンダーソンは完全に暗闇に同化している。階段を上りきると彼は屋上への出入り口の扉のドアノブに手をかける。黒い手袋で包まれた手がゆっくりとノブを回していく。少しばかりドアを開けると隙間から風が入ってくる。この風は前回の任務の時よりも冷たい風だ。スミスは屋上の地面に足を一歩踏み出す。  今夜は月明かりがない。星も雲で隠れている。その闇の中をスミスは狙撃ポイントに向かって歩いていく。足音が妙に不気味に聞こえる。 標的が現れるホテル・レインスウォールが見える狙撃ポイントに着いたスミスはバッグから狙撃銃と銃弾、インカムを取り出す。インカムは黒いコートの中に入っている無線機に接続される。スミスは無線機のスイッチを入れて連絡をとる。
「こちらスミス、メイソン長官、聞こえますか?」
 軽いノイズが聞こえた後、インカムの中から応答があった。
「こちらメイソン、よく聞こえる。狙撃ポイントに到着したか?」
「はい、もうまもなく狙撃準備も完了します。準備が完了しましたらもう一度連絡を入れます。では通信を切ります」
 無線機のスイッチを切ってスミスは銃弾が入っている箱から金色の金属の塊を一個取り出す。手袋をしているため、指紋やわずかな脂もつかない。次にM24に銃弾を装填する。ボルトアクションをする音がカウントダウンの終わりを告げるように夜空に響いていく。再び無線機のスイッチを入れてメイソン長官との通信を試みる。
「こちらスミス、メイソン長官、応答願います」
 先ほどよりも短いがまたノイズが聞こえてきた。その後にメイソン長官の声がインカムの向こう側から聞こえてきた。
「よく聞こえる、狙撃準備が完了したようだな?」
「はい、標的が現れ次第狙撃を行います」
 インカムの向こう側から息を深く吐くような音が聞こえてきた。葉巻でも吸っているのだろう。
「了解だ、幸運を祈る。通信を切るぞ」
 無線機が切れる音が聞こえるとスミスも無線機のスイッチを切った。スミスはホテル・レインスウォールに向けて銃を構える。一二階の二号室をスコープで覗く。部屋の電気がついていないため、まだ標的は現れていないようだ。十月の冷えた風がスミスの頬を突く。スコープを覗くスミスの目はとても鋭く、氷のように冷たい。
 昼間は忙しない場所だったが今はとても静かだ。一三階建てのビルの屋上にいるからというのもあるが、車どおりの音もほとんど聞こえない。空もヘリコプターや飛行機も今は飛んでいないのだろう、とても静かだ。
 四〇分後、午後一一時一〇分、今までにピクリとも動かなかったスミスの体が動いた。その時、スコープの覗いていたスミスの目の色が明らかに変わった。鋭かった眼光がさらに鋭くなった。ホテル・レインスウォールに一二階の二号室の部屋が明るくなったのだった。スミスはスコープの倍率を上げていく。そして標的が窓際に現れるのを静かに待った。
 風が一層冷たくなったように感じられた。