彼女の話





 別に面白くもなんともないわよ?
 オチはないし、何かの教訓話でもないし。毒にも薬にもならない話よ。噂話みたいなものね。
 それでも聞きたいの?
 変わった性格ね。まあ、私もあまり人のことは言えないか。
 そうね、どこから話せばいいかしら。
 うちの学校に校長の銅像があるのは、もちろん知ってるわよね。噴水のすぐ近くに置かれてるやつよ。
 校長といっても今の人じゃなくて創設当初……つまり初代校長、学長といってもいい人の銅像ね。
 ここって名門とかに比べたら頭一つは落ちるけど、そこそこ有名な進学校でしょ?
 学力だけじゃなくて、スポーツでも大会とかで結果を残す生徒も多いわね。
 ……それでね、昔プロ野球に○○って選手がいたのよ。ここの卒業生なんだけど。
 あなた、野球は詳しいの? 詳しくないなら好都合ね。だって、そんな名前の選手知らないでしょ?
 じゃあ、この人はプロ入りしてから活躍できなかったかというと、そうでもない。
 もちろん今だと渡米してメジャー入りするような選手みたいな活躍もしてなければ、知名度もないけどね。
 所属してたチームも優勝争いには万年無縁みたいな球団だったし、今ほどテレビ中継もされてなかった。
 その人は……そうね。シーズン通して九勝五敗かしら。そんな成績なのよ。
 そこそこの活躍はしてるし、貯金四は十分立派な数字とも言えるわ。けど、エースでも花形でもない……そんな数字なのよ。
 熱心なファンなら覚えてくれそうだけど、それだけとも言えるのかな。
 話が長くなったわね。でも、その○○選手だけじゃなくて、ここ出身の他の選手、他のスポーツでもそんな感じの人ばかり。
 もしかしたら、勉強ができて有名大学に行った人も同じような感じなのかも。
 例えば、助教授みたいにそこそこにはなれる。でも教授にはなれない……みたいにね。
 といっても、私の知らない例外もあると思うわ。そもそも、人間がそんなものなのかもしれないし。
 でね、この人たちにはもう二つ共通点があるの。
 一つ目は、ある時から足取りが分からなくなるの。消息不明……蒸発とか神隠しとか言葉は色々あるけど。
 とにかく分からなくなるのよ。スポーツ選手なら現役を引退してしばらくするとね。
 中にはコーチ就任の話が来てる人も何人もいたらしいけど、そういう人たちも事情は同じ。
 そして、最後の共通点。全員、男なのよ。
 それが校長の銅像とどんな繋がりがあるのか? それは今から話すわ。
 あの銅像、すぐ近くに噴水があるでしょう。噴水は池になってて鯉が泳いでるんだけど水はそんなに綺麗でもなくて。でも鯉が泳いでるぐらいだから、ある程度は綺麗なのかしら。
 ところで、変わった配置だと思わない? 銅像って普通はもっと広場の真ん中に置かれると思うんだけど。
 それとも私の思い込みかしら? まあ、正常だろうと変だろうと置かれてるのには変わりないわね。
 こんな話、聞いたことある?
 噴水で校長の姿を見かけることあるって。もちろん今の校長じゃなくて、初代校長。
 そして見た者に何かの話を持ちかけてくる。



――そう言って彼女は目を細めた。薄い唇は弧を描いていて、片側が大きく釣り上がっていた。



 もう何年か前の話になるのかな。一人の男子生徒がここにいたのよ。
 その生徒は陸上の選手で、この学校にも陸上の推薦で入ってきたの。スポーツ特待生ね。
 スポーツ特待生と言っても一人二人じゃないのは知ってるわね。それこそ二桁の単位で学校も取る。
 だから、やっぱり熾烈なのよ。世の中、そんなに甘くないから。本当に上を目指そうとすればするほどね。
 えっと、それでその男子生徒は男子寮で生活してたのよ。特待生は親元から離れてくる子ばかりだから。
 男子寮がどういう場所かは省くわ。この話には関係ないもの、たぶん。
 強いて言えば、男子寮で生活してるから、学校がより身近だった……ぐらいかな。
 うん、それで彼もやっぱり苦労してたのよ。
 一概に才能とか努力とかで片付けられないけど、とにかく頑張ってた。でも、今一歩がどうしても足りないの。
 ……そういうものなのよ。みんながみんな輝けるわけじゃない。それに頑張ってるのは彼だけじゃないんだから。
 じゃあ、それでどうなったかというと……ある時の話。確か夏か冬のどっちかの終わり頃だったと思うけど……一つの季節が終わりかけてた頃なのは確か。
 その日も練習を終えた男子生徒は銅像の側を通ったの。
 時刻は夕時、強い西日が射してるけど、直に日は沈む。でもまだ影は残っている、そんな時間。
 彼は銅像の横を過ぎて、噴水も過ぎようとして、なんの気もなしに噴水の水面を眺めたのよ。
 するとね、一つの影がはっきり見えたの。
 どんな影って……校長の影よ。
 おかしい? そう、おかしいと思うわ。だって変だもの。
 距離も角度も銅像の姿が水面に映るはずはないし、影も色で言えば黒だものね。
 だからおかしいのよ。でもね、彼はそれを校長だと思ったの。直感だったのでしょうね。
 それで、実を言うとそこで何があったかは私は知らない。
 私が知っているのは彼がそこで何かを見て、それを校長だと思ったこと。
 そして次の日から、その生徒は急に頭角を現すようになった。それだけ。



――彼女は目を伏せる。それは何かを思い出しているように映った。



 どうして私がこんな話を知っているのか?
 当事者に直接聞いたからよ。あの時もやっぱり取り止めのない世間話みたいだった。
 知っていても知らなくても別に困らないような、そんな話よ。
 何か言いたそうね? 今までの人たちも銅像の影を見たんじゃないのか?
 知らないわよ、そんなこと。男子生徒と今までの卒業生が同じなんて分からないもの。
 私はただそういう事実があって、それを知っていれば一つの推測が成り立つだけ。事実があっても真実が分かるとは限らない。
 ……あなたが何を想像したのか、私には分からない。
 でも、あたたはひょっとして何かの呪いみたいなものを想像した?
 私は何かの契約、そういう風に思ってる。神頼みと同じなのかもしれない。
 上に進むための、夢を叶えるための、ね。
 だけど、だからこそなのかな。最後の壁だけは上りきれなかった、なんて。
 言いたいこと、なんとくでも分かってくれるかしら?
 それにしても、あの銅像はどんな思いであそこに立ってるのかしらね?
 今度、気が向いたら噴水を覗いてみたら?
 もしかしたら、何か面白いものが見えるかもしれないわね。



―――そうして、相変わらず彼女は笑う。そこで初めて月によく似ている、なんてずれた感想を得た。