第7話

 今日のニューヨークも酷い渋滞と人ごみでごった返している。車から排出されるガス、人々の呼吸によって外に出される二酸化炭素、その上人口密度の高いニューヨークだ、お世辞にも空気が綺麗とは言い難い状態だ。その街中をスミスは歩いていく。
気が滅入っているのか全く前が見えていない様子だった。すれ違う人に肩がぶつかってばかりだった。それにも全く反応する様子がない。というよりもぶつかっていると認識すらしていないのだろうか?
 しばらく歩いていると家電製品店の前に辿り着いた。その店のショーウィンドウと言えばいいのだろうか、その中にはテレビが置かれていた。テレビには昨夜自分が狙撃をした共和党議員ライアン=ロスバーグのニュースが映っていた。スミスは思わずそのテレビで放送されているニュースを見ることにした。
「ではロスバーグ議員の自宅前からの中継です。ケンさん!」
 女性アナウンサーがそう言うと画面が切り替わって男性レポーターが映った。
「はいこちらケンです! 今私は昨日ホテル・レインスウォールの一室で狙撃されたロスバーグ議員の自宅前にいます! 玄関の前には大勢のマスコミが騒ぎ立てています! あ、今ロスバーグ夫人のサラー氏が出てきました!」
 するとケンと名乗った男性レポーターを含めた画面の中のマスコミが一気にサラーという女性に食って掛かっていった。
「ロスバーグさん! 議員は他の女性と浮気をしていたという情報があるのですがその事についてはいかがですか!?」
「覚せい剤を所持していたという噂もありますがどうですか!?」
「ロスバーグさん!!」
 マスコミはいつだってこうだ。人の気持ちよりも何よりも優先するのは有益な証言や情報だ。スミスは静かにテレビ画面を見ている。
 すると画面に映っているロスバーグ夫人、サラーが泣きながら叫びだした。
「もういい加減にしてください! 主人が死んだっていうのにどうしてそっとしておいてくれないんですか!? お願いですから帰ってください!」
 これだけ言うと彼女は再び家の中に入っていこうとした。それでもマスコミは質問の攻撃を止めることはなかった。するとサラーが涙を流しながら恐ろしい表情で振り向いて言った。
「私は……、私は主人を殺した人間を一生許しません!」
 そう言うと玄関の扉を勢いよく閉めて彼女は中に入っていった。その扉の閉まる音によって一瞬だけとはいえ、沈黙がテレビに映っている空間を支配していた。
「……主人を殺した人間を一生許さない、か……」
 独り言のように言うとスミスはその場を後にし始めた。再び人でごった返す通りを歩いていく。歩きながらスミスはあの時の事を思い出していた。

 スミスがハイスクールに通っていたときの事だった。彼の成績はそれほど良くはなかったがサッカーやバスケットボールなどといった球技が得意だった。放課後にスクールメイトと共にバスケットで汗をかいてから自宅に帰った。腕時計は午後四時七分を指していた。
「ただいま!」
 いつもだったら母親の声が聞こえてくるはずだ。だが今日はその声は聞こえなかった。何も知らないスミスが家の奥へと入っていき、やがて信じがたい光景を目にした。
「母さん!!」
 キッチンで体から血を流して死んでいる母親の姿がそこにあった。死亡してから時間が経っているのか、床へと流れ出た血はもう凝固している。あまりにも理不尽な光景にスミスは冷静さを保てなかった。いや、保てないほうが普通だ。帰宅してみると母親が死んでいるなど誰も想像できるはずがない。
「きゅ、救急車を!!」
 気が動転したスミスは急いで電話をかけようとした。だが何か変な物を踏んでその場に転んでしまった。スミスが踏んだのは薬莢だったのだがその時のスミスはそれを確認する余裕は当然なかった。電話がある所まで辿り着くと急に電話が掛かってきた。スミスは受話器を取るとすぐにそれを元の位置に戻した。そして救急車を要請した。救急車を呼び終えると再び電話が鳴った。スミスは受話器を取るとそれに向かって叫びだした。
「誰ですかこんな時に!! もうかけてこないでください!!」
「こちらはFBIですが、スミス=アンダーソンさんですね?」
 スミスの父親はFBI捜査官だった。そうだ、父親にもこの事を伝えなければ、気が動転したままスミスは喋り始めた。
「父をだしてください! 母さんが……母さんが!!」
「お母さんがどうかしたのですか?」
 今自分が目の当たりにしている光景をそのまま伝えると受話器の向こう側の人間も驚きを隠せないでいた様子だった。
「そ、そんな事が……。まさか夫婦でこんな事になるとは……!」
「ふ、夫婦で……?」
 すると受話器の向こう側から重い口をやっと開けて喋ったような声が聞こえてきた。
「……あなたの父親がついさっき、狙撃されて死亡しました……」
 スミスの手から力が抜けた。彼の口から声が出てこない。やがて受話器が床とぶつかり合って音を立てる。スミスの頭の中ではその音は何度もエコーがかかっていた。