第4話

 あれはいつだったか……、そう確か…自分の初めての狙撃任務だ。

 狙撃班の訓練課程を最も優れた成績で修了し、スミスが正式に狙撃手となった日。
雨が降りしきる中で任務は行われた。初めての狙撃任務のため、当時は教官だったメイソン長官がスミスの傍にいた。実際に銃を撃つのはもちろんスミスだった。標的は脱走をして銀行強盗をした死刑囚、彼は銀行にいた女性の首に拳銃を突きつけていた。警察も現場に駆けつけていた。スミスの初めての任務は公式任務だった。狙撃ポイントは銀行から東に約三〇〇メートル離れたビルの五階の窓からだった。ここだと人質と死刑囚が立てこもっている部屋が確認できた。
「教官、標的の捕捉完了、狙撃準備完了です」
「いいか、相手は犯罪者で死刑囚だ。容赦することはない。必ず一発で決めろ」
 そう言われたスミスは左手で銃身を支え、右手の人差し指で引き金に触れ、右目でスコープを覗く。だがスコープの十字部、レティクルを標的に合わせた途端、スコープが小刻みに震えだした。いや、震えているのはスミスの手だ。
「スミス、何をやっている?早く銃を撃て」
 スミスも引き金をなんとか引こうとする。だが恐ろしくて引けない。引けばそれだけで人の命を終わらせてしまう。それが恐ろしかった。家族を殺した犯罪者を自分の手で殺すために狙撃手になった。だが右手の人差し指に力を入れる事ができない。
 そしてもう一つ恐れているのは人質に銃弾が命中してしまう事だった。もし命中してしまったら必ず死刑囚を狙撃することよりも強い後悔の念が自分を襲うはずだ。この二つの恐れがスミスの体を固まらせていた。
「……スミス、ここで撃たないと何の罪もない人質が殺されるんだぞ!お前が撃たないのならかわりに私が……」
 教官がスミスの銃を掴もうとした時、スミスは歯を食いしばって右手人差し指を自分の体に向けて引いた。銃声が鳴り響いて銃弾が発射された。その時もスミスはスコープが捉えている死刑囚を見ている。すると次の瞬間、死刑囚の額に銃弾が命中して血を辺りに撒き散らしながらその死刑囚は倒れて動かなくなった。
「……」
 スミスは何も言うことができない。言葉がでてこない。それ以前に口がとても重く感じられる。
「よくやった、スナイパー・スミス」
 スナイパー?そうだ……、自分は狙撃手だ。表には出てこない正義の暗殺者だ。そういう思いがスミスの頭の中を駆け巡る。そしてスミスの目が次第に冷たくなっていくように見えた。先ほどの銃弾の薬莢を排出するため、狙撃銃を手にとってボルトを動かす。すると薬莢が宙に放り出される。その時、全ての動きが何故かゆっくり動いているように見えた。薬莢がゆっくりと宙を舞って地面に吸い寄せられていく。ゆっくり、ゆっくりと……。

 急に眠っていたスミスの目が開かれた。妙な金属音がしたからだ。足元を見てみると先ほど机の上に置いた薬莢がフローリングの床を転がっている。夢の中で排出した薬莢がまるで現実世界に次元を越えて出現したように感じた。スミスのいる班長室は暗闇に包まれている。眠っている間に既に夜になっている。スミスは部屋の時計を見て時間を確認する。
「九時三〇分……」
 現場に向かって準備をしたほうがいい時間だ。スミスは黒いコートを着て、狙撃銃と専用銃弾が収められている黒いバッグを手にとって部屋を後にする。そして狙撃班の部屋に出る。今も部屋には誰もいない。おそらく訓練を終えて夕食をとっているか娯楽に興じているのだろう。誰もいない班の部屋を後にして、蛍光灯が点いているのに妙に暗く感じられる廊下を歩いていく……。

 その廊下が終わりのない迷路の通路のように見えたのは気のせいだろうか……?