第3話

 友達とのサッカーを終えたダリは、心地よい疲労感に包まれながら帰路についてい た。遊びとはいえ、真剣に走り、ボールを蹴った。この年ではまだストレスと言える ようなものは感じていないが、それでも体の中にある嫌なものを全て放出しきった感 覚をダリは持っていた。母親のためとはいえ、他の子供よりもダリは家の手伝いをし ている。自然と遊ぶ時間も減る。明日もまたサッカーをしたい、ダリはそう思ってい た。
 家の前に近づいた時だった。見知らぬ男性が母親のラミと話している。男性はこの 地方の民族衣装に身を包んでいた。ダリは気づかれないように家の裏にまわって二人 の会話を聞いた。
「お願いします。あと少しだけ待ってください。そうすれば今月分のお金は払えるん です」
「そうは言っても奥さん……、あなた前もそんな事を言っていたでしょう? 結果と して先月分のお金は払ってもらえましたけど、こちらとしてはものすごく困るんです よ」
「子供の学費もあるんです。それにその子供も一生懸命に私の仕事を手伝ってくれて います」
「そのお子さんはまだ学校から帰ってこないのでしょう? どうせどこかれほっつき 歩いているんですよ。そんな子供の学費なんて払う必要はありませんよ。ね?」
「そ、そんな……。本当にまだ子供なんですよ? きっと友達と遊んでいるんです。 子供なのだからいっぱい遊びたいのは当然でしょう?」
「奥さん、いい加減にしてくださいよ? 私だって仕事で来ているんですよ。……ま あいいでしょう。次は一週間後に来ます。それまでにお金をきちんと用意していてく ださい。でないとこちらもそれなりの措置をとらせていただきますからね」
 男はそう言って玄関から離れていった。ダリはかすかだが母親がすすり泣くような 声を耳にした。今この状況で家の中に入っていくのはダリにはできなかった。一〇分 ほど経過してから家に入ることにした。
 そして時間が経過してダリはドアを開けて家の中に入っていった。
「ただいまー」
「あ、おかえりダリ。随分遅かったんだね」
 母親の目が赤い。ダリは少し言葉につまってから言った。
「う、うん。学校でおんがくをきいてきてさ。それに友達とサッカーもしてきたか ら!」
「そうかい……。サッカーは楽しかったかい?」
「たのしかったよ! まけちゃったんだけどね」
「何事も楽しんでやるのが一番なんだよ。さあ、お腹が空いただろう? ご飯にしよ う」
 ラミは台所に行って調理を始めた。包丁で野菜を切るような音が聞こえてきた。母親の調理をする 姿、そんな母親の背中を見る息子、いつもの光景と全く同じだった。その光景自体 は。包丁で野菜を切る音がいつもと違う。少し、いや、かなり弱々しく感じる。小さ いながらもダリはそれを感じ取った。小さいながらも自分はどうすればいいのだろう かとダリは考えた。しかし思いつかない。
 そうこうしているうちに時間は過ぎ、ラミが台所から野菜スープを持ってきた。材 料はキャベツ、タマネギ、ニンジン、そしてベーコンという実にシンプルな料理だ。 彼らの夕食はスープと小さなパンだけの質素なものだ。この野菜スープはダリの家で は頻繁に出てくる料理だ。
「ダリ、学校は楽しかったかい?」
 あんなやりとりを聞いた後で素直に楽しかったと答えていいものだろうか? ダリ はまだ小学一年生、七歳なのだが、この決して楽とは言えない生活を送っている間に 普通の子供よりも物事を深く考える事ができるようになっていた。ダリは少し間をお いてから答えた。
「うん、たのしかったよ! 今日も学校でおんがくをきいていたし、その後にサッ カーもしたからね!」
 ダリは手元に置いてあるスプーンを手にとって、それでスープを口の中に入ってい く。
「おいしい!」
「そう。いっぱいお食べ」
 おいしい、その言葉に偽りはなかった。しかしいつもと少し違う味がしたのだ。普 段より、どこかしょっぱいような……。

 夕食の後、食器を洗い終えたラミが鮮やかな布を持ってダリに近づいてきた。
「ダリ、明日は学校から帰ってきたらこの服を持って隣のガチラまで行ってきてくれ ないかい? それでいつもの小父さんの店に行って売ってきてほしいんだ」
 そう言ってその服をテーブルの上に置く。ラミはこの民族衣装を内職して作ってい る。これがこの家の生活費に変わるのだ。
「うん、わかったよ! じゃあぼくもうねるね! お休みなさい!」
「お休み。ゆっくり寝なさい」
 ラミはダリの頬にキスをしてダリから離れていった。

 床の中でダリにはある考えが生まれていた。これが家のために、そして母親のため になるのだから仕方ない。しかしこの考えを聞いたラミはきっと怒るだろう。だがそ れでもダリは明日、この考えを隣町のガチラから帰ってきたら言う決心をした。
 そして、少年は深い眠りについた。